現代アートとその道徳

Contemporary Art and Its Morality

First published Sat Mar 8 21:16:05 2014 +0900 ; substantive revision Fri Mar 14 01:23:19 2014 +0900 ; Authored by nolze (submitted for "Introductory Seminars", University of Tokyo, 2013)

Tags : 芸術 道徳 現代アート 意図主義

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 現代アート Contemporary Art は1970年代以降登場した芸術の様態である。現代という時代の思潮や文化を強く反映した美術を一般に指す現代アートは、これまでの「—主義」的芸術を越えた新しい芸術の地平を開拓している(暮沢, 2009)。しかしながら一方でその前衛的な取り組みゆえに「世論の法」(J. S. Mill1) であるところのわれわれの道徳 Morality との対立がしばしば引き起こされているのも事実である。本論ではそうした現代アートの道徳的問題を具体例を交えつつ取り上げ、現代アート特有の意図解釈論から現代アート作品における道徳判断の図式について述べる。

Ⅰ. 問題—現代アートの道徳的

 初めに、現代アートにおける道徳的問題を、1989年から2003年にかけて製作された会田誠の連作絵画《犬》(以下「《犬》シリーズ」)を例にとって検討する。

 《犬》シリーズは2012年11月から約4ヶ月間に渡り開催された森美術館(東京都)の企画展「会田誠展:天才でごめんなさい」で展示された。本作は性的表現を含む「特に刺激が強いと思われる作品」のひとつとして会場内の18歳未満の入場を制限する「特定のギャラリー」に置かれた2

 この作品とその展示を巡ってはいくつかの批判があり、そのひとつは研究者や市民活動家などの有志による市民団体であるポルノ被害と性暴力を考える会 (People Against Pornography and Sexual Violence, PAPS) によってなされた。その論点は、作品自体の不道徳さと、そのような「不道徳な」作品を「公共性をもった施設」が公開していることであった。PAPSが森美術館に提出した団体抗議文では以下のように述べられている3

このような二重三重に差別的で暴力的である諸作品を、森美術館のような、公共性をもった施設が堂々と公開し、宣伝し、多数の入場者に公開していることは、このような差別と暴力を社会的に公認し、それを積極的に正当化することであり、社会における少女の性的搾取、女性に対する暴力と差別、障がい者に対する侮蔑と差別を積極的に推進すること…

《犬》シリーズの公開中止を求めるPAPSの抗議に対して次のような森美術館は回答声明を出した4

美術館は、美術を通して表現される様々な考え方の発表の場であり…本展に関しても、多くの異なった意見を持つ方々が議論を交わすことが重要であると思われます。

この後も直接の話し合いを含めたいくつかの応酬が行われたが、結果的に《犬》シリーズは企画展の終了まで変更なく展示された。

 現代アート登場以降の「不道徳」作品に対する同型の論争は他にもみられる。1969年ニューヨーク近代美術館 (MoMA) での草間彌生《死者を目覚めさせるためのグランド・オージー》は複数の若者による性的パフォーマンスを行うものであったため論議を呼び新聞等のメディアで取り上げられた5。また2008年広島市現代美術館での個展を控えていたアーティスト集団Chim↑Pomによる《広島の空をピカッとさせる》では核兵器の使用を想起させる「ピカッ」という文字を広島市上空に描き出した結果「不謹慎である」との意見やこの「作品」に不快感を示す市民の姿が広く報道されることとなった (Chim↑Pom編, et al., 2009)。

 こうした現代アート作品には共通して二種類の「不道徳さ」を見出すことができる。ひとつは作品表現の道徳性に関する問題であり、もうひとつは作品展示の道徳性に関する問題である。作品展示の道徳性については後ほど触れることにして、ここではより中心的な問題であるように思われる作品表現の道徳性から現代アートの道徳的問題の検討を進め、具体的には《犬》シリーズにおける表現の「不道徳さ」がPAPSの主張する「社会における少女の性的搾取、女性に対する暴力と差別、障がい者に対する侮蔑と差別」(「『堕落した』意図A」と呼ぶことにする)に妥当に還元されるのかを検討していく。

Ⅱ. 仮想意図主義による作品解釈

 そもそも、こうした現代アート作品をわれわれはどのように解釈するのが適当であるといえるのだろうか。河合(2011)は1980年代以降の美学における意図論の展開を踏まえた上で、現代アートにおける作品表現の中心に意図があることを示し、仮想意図主義に基づく現代アートの解釈の有効性を明らかにしている。

 仮想意図主義は穏健現実意図主義と並ぶ現代美学の意図論の学説である。仮想意図主義によれば、芸術作品における意図は妥当な鑑賞者の理解する作品の表明意味 utterance meaning である(Levinson, 2010)。表明意味は表明者意味 utterer’s meaning から区別される意味であり、表明者の意図にかかわらず実際に表明された意味そのものを指す。具体的には妥当な鑑賞者—この場合は作者の思想・作品歴・技能的バックグラウンド等やこの作品の評価や意義、現代アートの文脈に占める位置等を十分に知っている (well-informed) —の理解する、この作品の文脈・作者の意図・鑑賞者の解釈等を総合した上での全体論的な意味といえる。仮想意図主義では穏健現実意図主義とは異なり、古典的な部類の意味である作品に表現された図案や色彩の記号的意味も意図的意味の全体論に還元される。

 同一の仮想意図主義の別の定式化は範疇的意図の適切な理解による(Livingston, 2003)というものである。具体的にはこの作品を芸術として成り立たせるような意図が適切に理解されていることが求められる。仮想意図主義に基づく現代アート作品の解釈では、その作者は範疇的意図の「虚焦点」として要請される(河合, 2011)。具体的には作者は作品の総体に実質的な部分を占めないことになる。

 十分性に関する議論を深めておくために、この主張が実際に特定の作品—《犬》シリーズのような—にも適用できるのかを注意深く検討しておきたい。仮想意図主義による作品解釈の有効性の中心的根拠は作品形態の多様化による範疇的意図の中心化であった。《犬》シリーズの場合はこの根拠を満たしているのだろうか。ひとつの有力な反論として考えられるのは、絵画という「古典的」作品形態はインスタレーションやランド・アートのような「現代アート的」作品形態とは異なり作品としての成立が明快であり範疇的意図によって象られる必要がないというものである。しかし《犬》シリーズは日本画の技法による「古典的」絵画作品であるが、作者にとっての絵画という媒体は現代アート作品としても作者の一作品としても実際に多様な作品形態のひとつとして存在している以上、範疇的意図とその虚焦点が要請される。そこで虚焦点としての作者に意図を求めることはできず、不道徳さは「意味論的意図」に還元できない。つまりこの場合作者 (会田誠) の意図が作品の意図そのものであるとはいえない。

 ところで、ある種の道徳的課題は依然として残されたままである。作品の不道徳さが芸術としての作品が内在的に要請する意図によるものでも、作品を芸術として正しく理解しても依然として作品の意図は意図Aでありうるからだ。具体的には、この作品を芸術たらしめている意図は『堕落した』意図—「社会における少女の性的搾取、女性に対する暴力と差別、障がい者に対する侮蔑と差別」—を本来的に示唆している可能性を否定できない。

Ⅲ. 不道徳な現代アートの公共性

 ここで道徳性の問題のもうひとつの側面に注目する。作品展示にかかわる道徳性の問題がそれであった。

 まず美術館=展示空間という公共空間は作品の総体においてどのように位置づけられるのだろうか。西村(2011)によれば、美術館は作品を芸術に仕立て上げる「デリダ的パレルゴン」の役割を担っている。J. Derridaのパレルゴン論によれば作品=エルゴンは外縁=パレルゴンによって芸術としての場を縁取られており、この図式において作品の芸術性は外部的に保証されている。作品の芸術性が外部であるパレルゴンとの相互関係によって現前する以上、芸術の真理はあくまでエルゴンとパレルゴンの境界にある(暮沢, 2009)。換言するならば、作品の外部と内部—コンテクストを「切断」しつつ「繋ぐ」パレルゴン(長野, 2010)はその位置づけ的役割によって作品のコンテクストを「芸術」に閉じ込めている。

 パレルゴンのある役割—コンテキストの閉じ込め—によって作品の不道徳さは仮想意図主義における芸術作品の成立にのみ役割を果たす。森美術館の回答声明を引くならば「美術を通して表現される様々な考え方の発表の場」という美術館の—これはPAPSも抗議の前提としている—公共的地位はデリダ的パレルゴンとしての性質を満たすものである。それゆえに美術館を単純に作品とその意図論的性質そのものを社会に拡大する場とみなす「公共性をもった施設が…公開していることは、このような差別と暴力を社会的に公認し、それを積極的に正当化すること」というPAPSの指摘は妥当ではない。《犬》シリーズは森美術館に展示されることで芸術としての位置を特権的に与えられているが、 作品が単にわれわれが作品を解するところによらず芸術としての成立をみている以上、仮想意図主義に基づけば作品の道徳性は作品の芸術としての成立のためにあくまで限定的に要請される。

 逆にいえば、作品の芸術としての成立に対する他律的または自立的強制力を失えば意図A的堕落の可能性に対する批判は再び免れない。その喪失こそが作品展示にかかわる道徳性の問題であるが、 この喪失にまつわるいかなる論点も作品そのものの道徳性から分離されている。展示の道徳性にまつわるどのような主張も、われわれは作品の道徳性について語ることなしになさなければならない。

Ⅳ. 美学における道徳論

 ではわれわれはどのように現代アート作品の道徳性について語りうるのだろうか。これまでの議論は作品の道徳性にまつわる議論を拒むものではなく、さまざまな制約を通じて確保された現代アート作品の批評空間は純粋に美学的な道徳判断を成り立たせる。

 既存の芸術の道徳論はまさにこの分野を扱っていたものであった。Kieran(2003)や西村(2011)によれば鑑賞者の取りうる代表的な道徳論的立場には、道徳性は美的価値に影響しうるとする「穏健な道徳主義」と道徳性自体は美的価値には関連しないとする「穏健な自律主義」がある。こうした 評価可能な形で残された道徳と美的価値の関与から導かれる現代アートのひとつのテーゼは「不道徳さが芸術であることに寄与することはあっても芸術であることによって不道徳さ自体が『解消』されることはない」というきわめてニュートラルな道徳判断の命題である。

Ⅴ. 結論

 現代アートの道徳的問題は作品の意図に見出すことができる。パレルゴンとしての公共空間によって現代アートの不道徳さは芸術としての成立にのみ意味をもつことを求められ意図A的堕落を免れうる。その上で美学的道徳論による解釈が可能になり不動徳性に関するテーゼがいえる。

  1. 宇都宮芳明. “道徳”. 日本大百科全書. 小学館 http://www.jkn21.com

  2. “展覧会について | 会田誠展:天才でごめんなさい”. 森美術館, 2013年7月9日閲覧 http://www.mori.art.museum/contents/aidamakoto_main/about/

  3. “森美術館への団体抗議文”. ポルノ被害と性暴力を考える会, 2013年7月9日閲覧 http://paps-jp.org/action/mori-art-museum/group-statement/

  4. “森美術館の回答”. ポルノ被害と性暴力を考える会, 2013年7月9日閲覧 http://paps-jp.org/action/mori-art-museum/kaitou/

  5. “Biography”. 草間彌生, 2013年7月9日閲覧 http://www.yayoi-kusama.jp/j/biography/

参考文献

  1. 西村清和. 現代アートの哲学. 初版, 産業図書, 1995, 266p., (哲学教科書シリーズ).
  2. 西村清和. “「不道徳主義」論争”. プラスチックの木でなにが悪いのか:環境美学入門. 初版, 勁草書房, 2011, p. 174-192.
  3. Chim↑Pom編, 阿部謙一編. なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか. 河出書房新社, 2009, 295p.
  4. 暮沢剛巳. 現代美術のキーワード100. 筑摩書房, 2009, 250p.
  5. 河合大介. 仮想意図主義の有効性:現代アートの作品解釈をめぐって. 美學. 2011, 62(2), 110p.
  6. 渡辺眞. 造形芸術の記号論—作品と解釈. 第一版, 勁草書房, 1987, 225p.
  7. 長野順子. おぞましさの美学の帰趨:「吐き気」の芸術的表象について. 美学芸術学論集. 2010, 6:3-20, p. 5.
  8. デリダ, J, 高橋允昭(訳), 阿部宏慈(訳). 絵画における真理 上. 法政大学出版局, 2012, 314p., (叢書ウニベルシタス).
  9. Spoerhase, C. Hypothetical Intentionalism. Journal of Literary Theory. 2007, 1(1), p. 81-110.
  10. Livingston, L; Kieran, M; Eldridge, R; Levinson, J, (ed.). “Intention in Art”; “Art and Morality”; “Aesthetics and Ethics”. The Oxford Handbook of Aesthetics. Oxford University Press, 2003, 821p.
  11. Levinson. J. Defending Hypothetical Intentionalism. British Journal of Aesthetics. 2010, 50(2), p. 139-150.
  12. Shelley, J; Edward N. Zalta, (ed.). “The Concept of the Aesthetic”. The Stanford Encyclopedia of Philosophy. 2013 Summer.
  13. R. Hamilton. The Art of Theater. John Wiley & Sons, 2008, p. 172.