Buho No.218 目次

前編集長

こんなサークルやめてやるTM

文殊壱平


それはむかし,むかしのお話です。あるところに,ハードディスクの中身をすっかりなくし,深い悲しみにくれる幼いお姫さまがいました。そんなお姫さまの前に,白馬に乗ったVisualStudio® 様が現れます。凛々しい姿,やさしい微笑み……。VisualStudio® 様はお姫様を Microsoft® の香りで包み込むと,そっと涙をぬぐってくれたのでした。




「たった独りで深い悲しみに耐える小さな君。その強さ,気高さを,
どうか大人になっても失わないで!
今日の思い出にこれを」
「わたしたち,また逢えるわよね」
「その薔薇のライブラリが,君をぼくのところに導くだろう



VisualStudio® 様がくれた WFC ライブラリは,やはりエンゲージライブラリだったのでしょうか。

それはいいとして,お姫様は VisualStudio® にあこがれるあまり,自分も Visual デバッガを作る決意をしてしまったのです。でもいいの,ほんとにそれで……? 1

という話はおいといて。

VisualScheme™ がこのような経緯で始まったのだとしたら(ほんとか),私は,なんだかんだいって強力な MFC にあこがれて,MFC でばきばき使える DirectX ライブラリを作ろうとかいう気になったのです。

企画じたいはご存じのとおり頓挫したわけですけれども,わいりーのどはまり日記があまりにも共感できる内容だったので,私も懺悔をしてみようかしらん,と。ついでに,私がどのようにTSGに吸い寄せられてきたかを眺めてみようとか思うわけです。そこには,ほとんど陰謀ともいうべき吸引力が働いています。一部,TSGの部報に投稿する内容としては不適切な部分もありまして,ひょっとしたら月刊ムー2 の体験談コーナーとかに送った方がいいのかもしれませんが,ここはそれTSGの寛大さに甘えてむちゃくちゃ書いてみることにします。みなさんも機会あれば,ご自分の過去なぞ暴露してみてはいかがでしょう。「どはまり」より愉快なものはなかなか書けないと思いますけどね。

……で,このまま,役員交代挨拶も兼ねてしまおうかと企みます。

とかいって,多くの方は壱平の過去になぞ興味ないでしょうから,飛ばして,??ページあたりからお読み下さい。

しかし今思うに,私の去年のどはまり具合は,やっぱりヒヨシあたりから送られてきた呪い電波のような気が…………。

水色時代(1990年〜1993年頃)

還るべき「初心」

もともと月刊コペル21(くもん出版)のMSXベーシックのコーナーなどを指をくわえて見ているような幼年時代を過ごした私にとって,小5のときに突如うちにやってきた PC-9801EX はなかなか奥の深い機械でした。

で,中学校に入ってから,ぱらぐらふくんの影響を強く受けて,MASM をはじめとした各種アセンブラを手に入れ,98 + MS-DOS の環境に強く依存したプログラムをちょこちょこと書くようになります。最終的には,中3くらいの段階で,BIOS だの,裏ROMに潜むITF(Initial Test Firmware=旧世代98の起動チェックプログラムの通称)をせっせと解読してはニヤニヤしていたような気がします。このへん,ぱらくんと決定的に方向性が違う点で,彼が自分でがしがしと凝ったプログラムを量産していったのに対し,私は人のプログラムを読んでイヒヒと笑う方に行ってしまったということでしょうか。デバッガでトレースするのが好きなんですよ〜。そんなんで,今に至るまで生産性は低いです。

あるものを使う

中2の冬に,パソコン通信を知りました。1200bps という速度は,画面を流れる文字が読めるか読めないかという線でありまして,先進の超高速通信技術を実感できていい感じでした。

最初に入ったBBSが,よりによって東京・八王子にありました。1月には,そのOFFが神戸で催されるというので足を運びます。会場は神戸ポートアイランド。当時の私にはよくわからなかったのですが,自作のマンガを売っているところだったようです(しらじらしいですか。すいません)。そのBBSのメンバーを引き継いだBBSが,現在も埼玉・北本にあって,ちょくちょく綾瀬でしゃぶしゃぶ食ったりする仲が続いております。ネットワークがからむと,続くものですね。今のTSG人脈も,自分しだいでは,10年,20年と続いていくのでしょうか。名簿を作りながら,そんなことを思う今日このごろです。

さて,パソコン通信を知っで,98DOS用のプログラムを趣味で作っている人の実に多いことを知りました。で,創作意欲が萎えます。不満を感じないことには作る気も起きないわけですね。できのいい画像ローダなどを入手したが最後,開発活動は止まってしまいました。今思えば,TSGの1991年入学くらいの世代の人が作ったソフトたちでした。magd(ったく☆さん作),TEAM(tea さん作)あたりが代表でしょうか。

部室生活

中学の某部室には TOWNS がありました。高校生も一緒の部屋で遊んでいたわけですが,その TOWNS を駆ってグラフィックぐりぐりのかっこいいソフトを書く先輩が何人もいました。X68k の達人もいたかな。で,彼らがお手本にしていたプログラムたちは,TSGの1992〜1993年入学くらいの世代の人が作ったソフトたちだったようです,今思えば。部報第212号の Makken さんの文章をお読みいただければ,当時のことがかなりわかります。

TOWNS ハードの世界に特化した技術は,残念ながら,私の2つ上の世代で止まってしまいました。私の1つ上の世代が部室に寄りつかなくなり,ディスク回覧ベース(交換日記ともいう)の開発グループを形成してしまったせいですね(その次に,BBS中心の世代が現れます)。

クリティカルヒット

高校に進む春休みに,たまたまあぶらさんとの接触があり,東大に入って理学部情報科学科というところに行ってやろうと決意を固めることになります。彼は学部4年になるところだったはずですから,ちょうどプロセッサ実験明けのはずです。でも,そんな話はひとことも聞きませんでした。3

Ray

また,この頃,NIFTY の FGALRAY というフォーラム(電子会議室の集合体)にはまります。Ray というソフトのサポートフォーラムです。Ray は,98ハードを徹底的に活用して,主に FM 音源を使った音楽パフォーマンスを実現するもので,熱心なファンがたいへん多いソフトでした。

本体の開発は,ともゆきさんという方がほとんど単独で進めていました。ユーザ集団を盛り上げるような環境づくり——つまり,自作作品を気軽に発表し,楽しみながら評価しあえるような土壌を作るようなこと——にもたいへん熱心で,独特のともゆき-ism のようなものを強く感じる場でありました。

やがて,Ray のノウハウを継承した Win環境向けのソフトも発表され,今なお大変な盛り上がりを見せている模様です。ともゆきさんには,名古屋OFFで一度お会いしました。

その後,NIFTY のアカウントを失ったのを機に,私の Ray 関係の活動は不発のうちにしぼみました。で,さらに5年後,「TSG総合名簿」の編集中,OB からのメールの山の中に「ともゆき」の名を見つけることになるのです。ででん。

爆TeX(ばくてふ)誕生へ

TeX を知りました。いまはなき「ざべ」誌のディスク回覧で入手(あとで知ったのですが,実はこのとき,おおいわさんも TeX を入手しているのですね)。この TeX がなかなか面白くてはまります。大阪・梅田の旭屋書店で,いわゆる奥村本(初版)を大購入。以後,仲間うちに TeX を広める活動をしますが,「わけわかめ」の一声で一蹴。理系大学生になるなら知らんでは通せぬはずじゃ,の説得もむなしく,初めて TeX で作ったクラブの部誌の思い出は,スタイルファイルの突貫作成と,プレインテキストや手書きの原稿を TeX 形式にする作業の記憶であります。高1の5月かな。いちばんてこずったのが,すーゆーさんの原稿。自作プログラムを説明するのに,

ASCIIキャラクタで画面説明の絵

を書いてくださったんですな。それだけはやめて〜。ギャラの原稿も,なんだかやりにくかった覚えがあります。TeX で表現しにくい世界があるんですよね。

……とか,仲間うちの古傷をえぐってみる試みでした。上の段落,私をはさんで4代の編集長が勢揃いしちゃっています。おおいわさん以外は腐れ縁の連中です。やだやだ(嘘)。

さて,TeX が吐き出すファイルは DVI という形式ですが,.dvi ファイルを出力するソフト DVIOUT/PRT は,たいへん強力なものでした。ドキュメントを見ると,「© TSG,SHIMA」とあります。SHIMA さんというのは PC-VAN だかで活躍しているプログラマとしても,TSG とは何なのか不思議でした。NIFTYで聞いた噂では,東京大学理論科学グループとかいう組織のことだそうです。

なんぱ高校生時代(1992年〜1996年頃)

うそです。世間様のいう軟派からはほど遠い世界でした。

インカレサークル!

新聞委員会とやらの活動にはまります。3つ上くらいの世代から対外活動が盛んになっていて,関西じゅうの高校に声をかけて,意見交換会のような催しを年5回程度やっていました。

まぁ,女の子もいっぱいいるわけで,若者らしい事件もいろいろ起こるわけです。このへんがちょっと軟派。私が卒業する頃には女の子のほうが多くなっていました。それはともかく,顧問教員が一切タッチしない中で,常時10〜30校の生徒が参加していたのは驚異的なことかもしれません。手作りのパンフレットを,毎回毎回100校〜200校程度にDMするという暴挙のあげく,参加者をゲットしていたのですね。で,毎回3〜10くらいの新規参加がありました。厳しいもんです。おかげで,新人獲得のセンスみたいなもんはおおいに身につきました。特に,ネコかぶりな女の子をカミングアウトさせる技術は,当時の中核スタッフ一同,かなり磨かれてしまった模様です。

で,そうやって舞い上がり状態になってる女性を虎視眈々と狙うOBがいる……とかいう構図だったというのは,お約束なんですかね。当時の私はそれがわりとイヤで,一生懸命抵抗してたような気が(笑)。ま,今思い出せば,わりと美化されていて,いいカンジですけども。

それにしても,新規参加者の動向とは予測できないものです。波長が合ったなら,2回,3回,さらに代々参加してくれるるようになるし,だめなようなら1回できっぱり消えていく高校生たち。あるいは,1年続き,2年続き,3代くらいにわたって仲間になってくれたような連中も,ある世代からぷっつりすがたを消したりします。4

私が担当になってからは,例によって TeX でかりかりパンフレットを作って,高校の住所録データベースをさくっと作成,タックシール出力まで半自動。調子に乗って400校とかに発送したら,製本作業を手伝った中学生が冊子に悪い小細工をしたせいで,送り先の高校の校長から苦情の電話がくるとかいう痛手も。あのときは「校長訓戒」という正式な処分を受けました。吉田泰三校長(当時)すいません。貴重な体験です。そういえばこの校長,UMBさんと名前がよく似ています。親戚かな。(笑)

ともかく,製本や封筒詰めの作業に習熟したのは言うまでもありません。それをちょうど,TSGの部報と同じくらいの頻度でやってたわけです。面白い経験でしたけど,それがなんになると問われれば絶句するのみです。

要するに,大学でいうインカレサークルのようなものを,高校生が自力で(クラブ活動の範囲の中で)どこまで発展させられるものか,挑戦していたような感じでした。

高いものはクラブで買う!

あと,パソコンクラブの部室に電話線(INS64)を引いてBBSを立ち上げることにも熱中しました。大地震の後のどさくさにまぎれて実現させてしまうわけですが,あの時期にしかできない(ありえない)貴重な存在になったように思います。このBBSには,心身に障害をもつような会員さんも何人か訪れるようになり,当時の部員たちにはなかなか貴重な刺激となりました。

まずかったのは結末で,ココロに病気を持った会員さんのひとりが,BBSで議論するうちに自制できない状態になってしまい,SYSOPの自宅に ``いやがらせ'' をしたり,高校の校長宛に不可解な手紙を送ったりする事件に至りました。またもや校長ごめんなさい(で,現在は非公開となっているようです)。

学校には迷惑かけないように,始動時にいろいろ準備したのですが,さすがにそこまでは予想してなかったのですね。全く,考えが甘かったとしか言いようがありません。ルールと良識の範囲で解決できないような情況まで想定してプロジェクトを作るべきだったわけですが……しかし,そんなことを高校生に要求するのも,なんだかやるせなく,酷な話であるような気がします。

ま,誰が悪いわけでもないもんね。どこかに誰かの悪意があるわけじゃなし。関係者一同つらかったけど,貴重な経験になりました。

余談ですが,同BBSの末期には,メッセージボード上で「シケプリ」交換のようなことも行われるようになっていました。あと1年早く始動していればもっと強まったであろうに,わりと残念なカンジだと言わなければなりません。

あともう一つ,学んだ大事なことあります。クラブやサークルの内輪から出発したプロジェクトは,そんじゃそこらの努力では内輪から脱却できないもののようです。適当なうわべでもって,新規参加者を誘い込むくらいのまねはできても,それは単に,内輪メンバーをちょい広げようとしているに過ぎないのですな。どうしても「脱内輪」を目指すなら,元のクラブやサークルなんかと縁を切るくらいの気合いで望まないとだめなようです。

これだけ遊んでりゃ弱くなるよね!

そんな調子なので,自力でソフトウェアを作るということへの興味は,ますます薄れたのです。そもそも,自分の持っている環境ではろくに開発ができません。あちこちのBBSから拾ってきた馬鹿なデータの山のせいでハードディスクは逼迫しているし,モバイル通信に凝ったせいでCPUパワーは足りないし。だいたいあの頃は,何もかもが高価すぎました。新しいものを追いかけようとすると,高校生の小遣い程度ではどうしようもなかったのです。それならクラブだのサークルだのを有効活用すればいいじゃないかという話なのです……が,実は前述のパソコンクラブは,BBSを始動させる直前まで「予算ゼロ」で運営していたので,機材もょゎょゎだったのですね。そんな中で,きっちり WIN3.1 用ゲームを書いていたすーゆーさんは偉いです。

一方,BBS筋で広がった友人とつきあうようになってから,日常生活からかけ離れた内容のコレクションを,いやというほどたくさん目にしました。で,彼らは,そういう常識はずれなアイテムたちに囲まれて,あるときは鼻の下伸ばしまくってそいつらをエンジョイし,またあるときは,制作者の技量だとか感情だとか,プロダクション間のアツレキだとか,そういうレベルにまで遡りつつ「鑑賞」できるような人々だったわけです。いわゆるヲタクと呼ばれる人たちの中でも,特に凝り性な連中ですな。

ややコレクターの素質があるらしい私としては,なんとしても彼らと張り合いたい。それで,TV番組をせっせと見はじめます。コミック本やCDやグッズを買い集めはじめると金がかかりますが,TV放送のエアチェックをするぶんには,ほとんど出費がないのですよ,これが。というわけで,小遣いは存分に,電話代およびビデオテープ代へと注ぎ込まれました。開発環境へは一銭も流れません。もともと大して勉強しない人なので,前述の新聞委員会系の活動をしなくなる高3春頃からは,土日は激ヒマです。筋金入りのイベント野郎しまいました。しかも無料イベント専門。末期には有料系にも出向くようになったけどね。学校さぼってアニメイト前で整理券行列とかいう恥ずかしいこともやってました。ってもう時効だよね。

駒場1年生

東京って、都会だね……

そう,東京は都会。ヲタクなイベントの数も大阪とは桁が違うのです(大阪と他地域とを比べても,やはり一桁ちがうのですけれどね)。東京だと声優イベントには事欠かないぜウヒヒと思っていましたが,東京に住んでみると,全く追いかける気にならなくなりました。友達がいないから,というのではないのですね。同時に東京に出てきた友人の中には,巻き込もうと思えば巻き込めるようなのがたくさんいるわけですし,単独乗り込んだとしても,行った先ではどうせ,大阪のときと同じような顔(イベント仲間)がわらわらいるはずなのです。全国遠征をやってのける集団がいるんですわ。

けっきょく,入試前々日だかの武道館へきるライブが,最後の有料イベントとなりました。その後,無料イベントを数件こなしたものの,今に至るまでイベント野郎は廃業状態です。イベントアクティブMLのメールだけがガンガン流れてくるのですが,腰を上げて遊びに行く気になかなかなりません。たまに行ってみると気分が変わるのかな。

TVアニメ、放棄……

だって数が多い。やってられん。けっきょく,高校時代のアニメ漬け生活ってのは,学校終わってからヒマだったんで為しえたのかもしれません。夏休み前には,ビデオテープの稼働率がほぼゼロになっていました。あ〜あ。

しかも,期待してたほど金がたまらん。そりゃそうだ,働いてないもんね。親に頼み込んで98ノートを1台買ってもらう。これでやっとWin95が動くようになりました。開発ができる〜とか思ったけど,やる気なし。さらにあとで,開発環境としてまったく不十分な機械だということに気づくんですが。

この頃,自分は何やってたのかぜんぜん思い出せません。趣味は何ですか,って尋ねられて,思わず言葉詰まっちゃう感じですか。勉強も全くしてなくて,物理系科目はぜんぶ単位落としました。フランス語(初修外国語)は,一本だけ自信がなかったので欠席扱いにしてもらったんですけど,これが平均点対策上大きな誤りだったということに,すぐ気づきます。5

そして、秋……

実家からの仕送りが激減。で,働きはじめる。駒場祭の時点では,すでに仕事してました。駒祭期間中,ずっと空回りしてて,とっても浮いていました。慣れないスーツ姿で客引きなんかしてたし。

出展作の方は,高3の文化祭に出したモラトリアムなDOSゲームをリメイクして展示したような気がします。

編集長職をいただいたのは,どうも一年前から決まっていたことのようなので,文句なし。その時は何か没頭できるものが欲しくて,そうだ TeX に没頭してみるかとか思ったような気がします。でもって,来年までにはいくらなんでも,Direct3Dくらい扱えるようになってるだろう。そしたらまたカッコイイものを作ってやるさ。ひっひ。

いまさら学生生活

ヲタク活動もサークル活動も身が入らないので,授業にまじめに出る人となりました。成績表と底点表とを見比べて,つねづね焦ってはいたのですがね。特に月曜日は朝9時から夕方18時過ぎまでびっちり。5時間めは文学部主催の総合科目だったのですが,どうも時間にルーズな教官で,定時には終わらないのでした。授業は好みの話題だったのでよかったのですけど。

部報第211号(12月21日)

表紙オセロ——勝利の瞬間
副題駒祭反省と役員交代とクリスマスコンパ合併号
ピンク
ページ数本文50ページ
わたる率推定25%

先代すーゆーさんとの合作です。すーゆーさんによって,ぶほ開発きっと(BDK)が完成されていたため,スタイルの調節などには気を遣う必要がなくなりました。少なくとも,jbook とかを使うよりは,見栄え的に落ち着いたものになります。内容はサブタイトルの通り,駒場祭の反省特集が遅れに遅れていたものを,引き継ぎ特集と抱き合わせにしたものです。

編集・構成の技術については,すでに,本質的改善の余地がほとんどありません。私としては,強調文字などを連発しすぎて下品になりすぎるないように心がけました。何か所か,「ASCII 256シリーズ調」と呼ばれる強烈な効果(中央揃え+拡大文字+強調文字)が使われていますが,連発しすぎなければ目ざわりでもないものかと思います。すーゆーさんも過去何度か使用しています。

ちなみに私の担当分については,本文の「約モノ」(句読点やカッコなど,幅が違ったりして組版処理上特殊な処理が必要な活字のこと)を和文文字に統一してあります。

たとえばカッコですと,(ほげげ)と (ほげげ) のように,微妙に違う二種類があるのですが,このうち前者を統一的に採用したわけです。日本語を中心に組まれる段落は,すべて和文活字で統一した方が見栄えがよいように思います。もっとも,メールでのやりとりや学術論文では,後者が一般的のようです(画面上での扱いやすさと,欧文文字との親和性のためでしょう)。

TeX 技術的に心残りなのは,なんといっても,わたるさんのソケット解説記事でしょう。ページ数を抑えるために \small にしてあるのですが,このため行間が詰まってしまい,見づらくなっています。また,リファレンス風の構成になっている部分で,見出し処理が非常に弱く,

マイクロソフトのmsdn日本語訳なみに

見にくくなってしまっています。著者に謝らんといかんレベルです。わたるさんの原稿は,投稿時点ですでに TeX(jarticle)で書かれていたのですが,この段階では行間が十分取られているため,読みにいというほどではありませんでした。行間調節要注意。

パーティ……

1年生はそのまま,アルバイトと試験とで幕切れ。2月に sigma & Makken 結婚披露パーティというのがあって,その機会を利用して名簿作成のための下準備なぞをしでかした覚えがあります。とりあえず印象深かったのはわたるさんの酔い方……。

部報第212号(3月14日)

表紙ひぐ&ぺん
副題ぶほ・追い出しコンパ特集号
もえぎ
ページ数本文32ページ
まったか率推定22%
Makken率推定14%

目玉商品は,1ページからの「お祝い寄せ書き」です。前述のパーティーの際に声をかけて,さりげなく冬名簿のための下準備をしつつ,先輩方から集めたものですね。italk 伝言の体裁にしてあります。なお,この大きさの文字を学館のファクス転写式プリンター(要するにゲスプリ)で印刷すると確実に読めなくなるので,実は先頭の1枚だけレーザープリンタで全て出力しているという豪華版。しかも表紙の絵はコピー機を使っているのです。

Makken さんの「追い出されコメント」が,お忙しい中にもかかわらず大変な力作。私にとっては内容的にも涙ちょちょぎれ(死語)なものでした。305に若干数残部がありますので,駒場に出入りなさる方はぜひ立ち寄ってご覧ください。PostScript ファイルがTSGページから入手できるかもしれません。

まったかさん,Perl による人工無能作成解説。とりあえず作ってみたいという向きには大変好評で,前号のわたるさんのソケット解説とあわせ,現在のチャットプログラム自作ブームの火付け役となりました。

印刷・製本予定の当日,自宅プリンタが昇天。この現象,おおいわさんが編集長に就任したときにも発生した模様(部報第204号参照)。あわてて(有)アンブレラの事務所に放置されていたTSG備品の高級プリンタ(まじ)を回収し,翌日やっと出力しました。で,思い切って,1ページめ「生レーザー出版」に踏み切ったのでした。

1998年4月〜8月

2学期にせっせと授業に出た努力はいちおう実り,物理(電磁気学)も化学(構造化学)も高得点でパス(TACT くんと同じ授業だったのが効いているという話も……)。ただし数学(線型代数)は追試取得。これで,昨年度の情報科学科の底点まであと……それでもあと7ポイント。わわ,どうすんだ。

部報第213号(4月8日)

表紙xdm もどき
副題オリエンテーション特集号
ページ数本文16ページ
こんの率推定50%
壱平率推定50%

この時は大変でした。編集後記にも述べてありますが,4月1日深夜から2日未明にかけて,実家のほうで大きな事件があり,緊急帰省モードだったのですよ。原稿の取りまとめと粗編集は,完全にこんのくんに依頼しています。粗編集といっても,そのまま出版して全く問題ないレベルにまで仕上げてくれました。ぶちょ偉すぎ。

で,東京に帰ってから罪ほろぼしというか何というか,かなり丁寧に「用語の基礎知識」を仕上げました。内輪ウケに終始せず,下品なオチでごまかさず,サークルの雰囲気をちゃんと感じ取ってもらえるような,近年まれに見る「基礎知識」に仕上がったと自負しています。ちょっとくどいんじゃないかって声もありましたが,だってこの記事って,TSGの内輪ネタを,初対面の人にわかるようにくどくどと説明するのが目的ではないかと。

表紙は去年のものをほとんど流用。ま,これは毎年これでいいんじゃないでしょうか。って,来年度はECCのシステムが更新されるので,それに合わせた何かにしてやるべきかな。

新歓っ

思い出したようにサークル活動を始めます。新歓案内のハガキ作成には,高校時代のシステムを流用しました。ハガキ印字は,ラジオ番組に大量投稿していた頃のスタイルファイルを流用(笑)。それでも,住所処理の作業量は並ではなく,一昼夜ひたすら住所照合とか電話勧誘とか。いちおう実って部員はたくさん。女性も多いようだから,直上世代もご満足のことであろう。うひひ。

例年より新歓コンパの日程が早いので,コンパ合わせの部報を諦め,「プレ名簿」の作成を試みました。駒場+本郷アクティブ+OBアクティブという変則ですが,これを「新歓コンパ参加予定者名簿」と銘打ってリリースすることに。われながら名案だ。とか思ったけど作業量はやっぱり莫大でした。あっというまにスケジュールが破綻して,コンパ半ばあたりに名簿を抱えて登場,とかいうカッコイイことになってしまいました。作業スケジュールの下手さはこの時に始まったことじゃないですが(自分は作業スケジュールを組むのが下手だ,と高校の卒業文集に書いてあるし),それ以来,部報関係の作業は毎回「延期」を恒例としています。えへん。(退場)

後始末は苦手ですっ

私は,集めるだけ集めておいて,あとはほったらかし状態だったのです。にもかかわらず新入生勢が自然解散せずに済んだのは,救世主 TACT くんの突然の大活躍のためでした。情報棟活用分科会(というか Java 分科会)がこまめに催され,現在の1年生のコアががっちり形成されたのでした。TACT くん偉すぎる。

駒場祭企画会議っ

これって,いつごろでしたっけ。

私はとにかく,「珍しくなくなったせいで全く儲からないうえ,技術的にもたいして面白くない ``占い'' にこだわることはなかろう。たとえ1度くらい金儲けに失敗しても,TSG がつぶれるわけではないから,何か別のことをやろう」と無責任に力説したような気がします。昨年のつらい実績のため,2年生はかなり萎えていたもので,一同なんとなく「そうだよねぇ」という気分になっていた模様。後先考えず,

「新機軸対戦型占い」

とかいうものを無責任に構想しつつ,どうせなら金儲けもちゃんとできるように,流行モノのビートマニア系音楽ゲームを一発やってみたらどうかということで無責任に決着。

ここで「ファミトレって知ってるかい」と振ってみたら,わりと同案があった模様で,ファミリートレーナーを入手して接続する計画が持ち上がる。なんだ,みんな考えることは一緒か。

ファミトレを使って足で音楽するというアイディア,私は beat mania がコナミからリリースされた直後から温めていたのですが,なんとこの会議の一週間ほど前に,アミューズメントマシンショーという催しで,Dance Dance Revolution が発表されたのですね。で,失意のあまり,この会議で私は「せっかくだから,ファミトレを手で叩くのがいいのではないか!」と主張してしまったのです……が,今思えば,コナミが作ってくれた流行に乗って,いっそ DDR のクローンゲームを作ってしまった方がウケたかもしれません。あ〜あ。

さらに私は,「ファミコンの前面端子はアタリ社仕様のはず(X68k や TOWNS や 98サウンドボードのパッドと同じ)だから,接続はきっと簡単だよ!」と叫びました。みんななぜか納得。実はこれが大嘘なのでした。ごめんなさい。しかも私は,IBM PC の JOYSTICK ポートがアナログであることも知りませんでした。だめ……。

高得点競争っ

英語,フランス語,ドイツ語,中国語,韓国語,セルビア・クロアチア語,アラビア語。第7外国語まで履修して,総合科目の得点稼ぎ。それに加えて,言語学系の講座が2つ。恥ずかしい限りですが,しかし,時間割をざっと眺めたところ「得点を取れそうで,しかもあとで役に立ちそうなもの」って初修語学くらいしかなかったんですよね。しかも,週2回はアルバイトなので,4〜5時間めは出席できません。さらに週1回は基礎実験なので,その日の3〜4時間めは履修不可,5時間めも実質,出席は無理です。厳しすぎますわ。

アラビア語などは一回しか出席せず,某女史の協力によって高得点ゲットしました。あ,不正行為はしてませんよ。それにしてもアラビア語はなかなか魅力的な言語です。右から左へ書くあたり,文語は1000年以上変化していないというあたり,喉をふんだんに使った複雑な子音体系のあたり,ちょっとどきどきします。思わず ArabTeX をインストールして遊んでしまいました(あんたはやっぱりそれかい)。

贖罪っ

無茶をすると体を壊しますね。点取りゲームおよび金稼ぎゲームのための不規則な生活の結果,自律神経が徹底的にやられ,アトピー性皮膚炎がかつてないほど悪化。ニュース報道で見るような泥沼成人型アトピーに向かって転落しかけました。もともとアレルギー体質だったのですが,これまでうまくバランス調整して悪化を免れていたようです。何人かの方に支えられて立ち直りましたが,なんか職場の方で迷惑講師になってしまったような。

合宿に行った先でも,おおいわさんと揃って中程度のぜんそく発作。まぁこの時は,ふだんアレルギーの様子のない TACT くんまで様子が変だったので,よほど何かおかしかったのでしょう。

夏合宿はなんといっても,れいちゃんの花火炸裂騒動(というほどでもないか)と,あぶらさん失踪事件が衝撃的でした。くわしくは部報第214号を参照のこと。赤の分厚いやつですね。

夏合宿に出る直前,駒祭企画を視野に入れ,マシン一式を大購入。わいりーくんの協力を大いに得て,ようやく秋葉原事情を呑み込みながらのパーツ選び。あ,ちょっと楽しいぞ。いい感じだ。200k円をどどんと投下。

その後,調子に乗ってCD-Rも購入。あ,お金がない。すーゆーさんに借金。この頃から借金大王となる。最低。

1998年9月〜10月

理学部に行こう(1)

マシン導入も束の間,実家との間を往復したりしてるうちに,若者らしくない情けない夏休みと秋休みを過ごしたわけです。そしたら,いつのまにか進学が決定。情報科学科志望の TSGer は全員第一段階でパスしたのでした。なんせ,理一からは去年と比べて10ポイント以上下がったもんね。自分たちでも細々と諜報活動をしていたとはいえ,この落差は何だろう。電気系B(工学部電子情報工学科方面)が人気急上昇してて——って要するに,予備調査の段階で底点が高かった方に,「80点オーバー層」が大移動してるだけだとすれば,やな感じ。6

後の記録のために記しておくと,本年度の情報科学科は,第二段階で底が抜けました(理一)。理二から1名多く採って,第三段階はナシ。なんだかなぁ。さらに今年度,電気B志望の TSGer はゼロ。これも妙な感じ。今となってはどうでもいいけどね。

部報第214号(10月13日)

表紙黒のマジック
副題夏合宿報告特集号
ページ数本文92ページ(!)
駒場率推定93%

この厚さは,TSG有史以来初めてのはずです。見た目,5ミリ程度あります。新歓コンパの時に一回抜けた分だといえばそれまでですが,よくもまぁ,これだけ一冊に集めようと思ったものだわな。もちろん,分割してもよかったわけだし,後回しで構わないような記事も何本かあったんですけど,そこはそれ,「一度やってみたかったんだ」っていうやつです。ちなみに,原稿がふくらみがちな「駒場祭企画紹介」は,一本も載せていません。

特筆すべきは,おおいわさんの記事以外,すべて駒場産だということです。読み手に解説するということを念頭に置いた記事(論文でなく,解説記事)の力作揃いで,なかなか充実しています。読み応えのある「ぶほ」だと言えるものです。

また,TeX 技術的に,わりと見栄えのよいものに仕上がっています。ただし,量が量のため,致命的な校正ミスが所々にあるようです。

なお,背表紙ナシで製本したので,構造が若干弱いです。各自,布テープなどで補強して下さい。:)

理学部に行こう(2)

第4学期滑り出し,コマ数を控え目に設定して,狙った講義はすごく真面目に出席します。生活リズムも整えて,いざ,マイペース奪還作戦だだだ。

そういえば,??ページで「DVIOUT/PRT の開発者」として名前を挙げた SHIMA さんという方は,実は東大の数学の先生で,私もこの秋から週一回,彼の線型代数の講義を聞いているのでした。これも陰謀?

ほらふき

噂の beat mania クローンのゲーム BM98 を入手。やってみる。なにげにいい感じ。DirectSound の強力さに驚きました。これなら私にもできるか。テーマ決定,発表。

さっそく305に持ち込んで,1年メイン企画の方の参考にしろ! と押しつけておきました。巷のネットワーク上では,BM98ブームもそろそろ去りつつある感じなのに,305ではいまさら流行しました。

1998年11月

開発準備

新しく買ったマシンにも慣れてきました。広い画面にも感動しなくなりました。さて開発です。VisualStudio® 6.0 を導入。DirectX® SDK 6.0 を導入。

つ,使えない。

よく考えたら,SYMDEB 以外のデバッガってあんまり使ったことなかったのでした。

デバッガに慣れた頃,MFC の中身が意外に面白いことに気づき,DirectX そっちのけで MFC をソースレベルトレースしまくります。7 あぁ,だめだ。これではまた生産性が。msdn ドキュメントをひたすら読む。いろいろ歴史があるんですね。吉田弘一郎のMFC本を読む。構成は粗いし,間違いも多いけど,割り切っててよくわかるんですな。

とりあえず,モードレスダイアログで遊べるくらいのコーディング量をこなし,なんかわかった気がしたので,そろそろ DirectX 関連の情報収集に着手します。

と,思ったら次の部報。忙しい。でも「マイペース」を取り戻すための戦いの日々,それなりに楽しかったりして。

部報第215号(11月4日)

表紙「テレビアニメーションを御覧の際は」
副題ぶほ・駒場祭準備特集号
ページ数本文50ページ(本体36ページ,付録12ページ)
こんの率推定12%

「綴じ込み付録」がついたのは,TSG有史以来初めてのはずです。(ぉ

今度は厚くしたくなかったので,30ページほどで見切りをつけて,自分の連載原稿もポイして,印刷工程に入りました。ところがそのあとで,駒場祭企画の新規決定情報が。さらに部長こんのくんより,毎年恒例の記事として,駒場祭当日の流れを部報に載せたいとの要望が。こんのくんは,第216号としてもう一冊出す気合いでいたようですが,ちょっとアンバランスすぎる気がしたので,付録という新機軸な形で収録。さらに,私のポカで見落とした記事2本を追加収録した結果,付録の中表紙も含めて50ページの「ぶほ」になってしまったのでした。そんなわけで実際に製本が完了したのは,7日だったでしょうか。延期しまくり。

なお,第214号から第215号にかけて,TACT くんのJava 関連記事が面白い内容となっています。決して難解なものではありませんから,一度読んでみてはどうでしょう。

そうそう,あの VisualYTA™ の制作発表も,この「付録」です。

ここから,本文の読点をすべて和文コンマ「,」に統一しています。

部報第431/2号(11月5日頃)

表紙反転文字(極秘・裏ぶほ)
副題不詳
ページ数不詳
すーゆー率推定99%

マスターのみの幻の「ぶほ」。

新役員選定に関する情報提供が目的のもので,305でのみ公開されました。

編集はぱらくんが全面的に担当。彼が元データを私によこさないんで,詳細不明です。昨年度すーゆーさんが作成したものをベースに構成されていたようです。

431/2 というのは,有理数であることを主張している模様。215.5 と書くと「不正確数」,いわゆる実数表現になってしまうのですね。

11月9日頃

DirectX の使用例,解説記事を求めて検索エンジンと格闘。いろいろ見つけたわけですが,巷のゲームプログラマはみな,Window モードの DirectDraw は低速だし制約も多いから GDI ベースのスプライトルーチンを自分で書くべきだと口をそろえているんです。そんなもんかな。とりあえず無視。

画面処理は面倒そうなのでサウンドから着手します。RIFF 専用のファイル入出力APIがあるようなので調査。あった。これで手間削減のはずです。

が,思ったように動いてくれません。どうしてもチャンク検索に失敗する場合があるのです。仕方がないので,いちいちファイルの先頭にポインタを戻してから ::mmioDescend することにします。……というあたりを MFC ライクにラッピングしたクラス CMmio を作成。ここから CWaveFile というクラスを派生,これでWAVファイルの読み書き完璧。よく考えると書き込む方はいらないんでした。馬鹿。

ここで改めて CPcm というのを作ります。CWaveFile を使って WAVE データをメモリに読み込むものです。WaveOut で音を鳴らせるようにしておきます。そしてこれから CPerfectSound というクラスを派生させ,DirectSound で音を鳴らすことにします。

このペースで DirectX を扱うクラスが完成していけば,PerfectX ライブラリとなるわけですね。DirecTV と PerfecTV からの連想ですが,全くお粗末。

Sound を作ったところまでで,1週間前。あわてて授業を斬りはじめます。ちょっとまずいかな。

11月16日頃

ごめんなさい,実は私,この段階で完成あきらめていました。ぱらくんがまだ開発始めてないような時期にもかかわらず,です。伏線として,マシン運搬方法の決定を保留したりしていましたが,ばればれでしたかね。ともかく,去年のように,メイン企画のデバッグの手伝いができるならその方がいいので,8 DirectX 関係のお勉強を続けておきます。わざわざ一年メイン企画と内容ぶつけるように自分の企画を立ち上げたのも,真意はそんなとこで。ずるいですね。みんなまねしないように。(ひど)

他方,パンフレットの冒頭に掲げるクサい文章が用意されていないことに気づきます。いまさら部長に書かせるのもなんなので,自分で用意します。れれ,わりと難しいな。なんか入学式の東大総長式辞より難解で,しかも田原総一朗のおしゃべりより薄っぺらい内容になってしまった。んん,あかん。保留だ。

11月18日

DIBを扱うクラス CDib 完成。どんな色数で,どんなRGB構成のファイルが来ても読めるぞ。で,これを DirectDrawSurface にぶちこむクラス CPerfectDraw を作ればいいわけです。

しかし時間切れ,パンフレット編集に移りますよーと宣言して,松戸に出かけます。仕事仕事。

11月19日

原稿が来ないので,余裕かまして,専門課程の方の Scheme の課題を1本片づけたりしているうち,睡眠不足がたたったのか,なんと夜まで爆睡してしまったのです。目が覚めると,原稿がどどっと来ていました(誇張あり)。

実は,構成に悩みました。単純に原稿をぽこぽこ放り込んだのではわけがわからないのですね。で,一晩悩んでできたのが下記のもの。

なお,ここで徹夜したのは失敗でした。パンフレットは手軽に作成しておいて,前日設営を完全バックアップすべきでした。ってわかってたんですが,得意の計画倒れというやつです。

11月20日

部報第216号(11月20日)

表紙はねぱんだ。
副題ぶほ・駒場祭パンフレット号
オレンジ他
ページ数本文18ページ

「企画紹介(グループの部)」と「企画紹介(個人の部)」に分け,「グループの部」の方にTSG全体の overview を入れるという構成にしました。

その他,グループ企画の紹介記事については,先頭に参加者名を列挙しておきました。資料的価値を高める工夫です。

本文は,全体に愉快に仕上がっています。ぱらによる VisualYTA™ の解説と,おおくぼくんのものが高得点です。

巻頭言(?)は,一発勝負で書き下し。「エヴァ」以来流行の,ライヴ感覚パフォーマンスというやつですな。ひどい有様。とはいっても,あとから読んでみると,ちょっと煙に巻かれたような気分になる程度で,さほど不快でない(と思う)から合格点とします。

んなことやってるうちに,完成はずれにずれこんで,私が重いプリンタをかかえて駒場に到着した時はすでに13時をまわっていました。朝から車で走り回っていた TACT くんや,買い出しツアーを敢行した人々は実に立派です。私は睡眠不足で稼働不良でした。とりあえずパンフレットの印刷だけ済ませて,製本はみなさんにお任せしました。

20日夜

実は 20日(金)の夕方からしばらく,私の記憶がありません。ほんとです。魔法にかかったようにすっぽりと抜けています。記憶が戻るのが,21日(土)の夜,松戸で仕事を終えたあたりですね。駒場で寝た覚えは全くない&いくらなんでも木曜夕方から月曜夕方まで100時間連続稼働してたわけではない……と思うので,おそらく,20日夜にいったん帰宅,寝て,翌午前に起床,着替えて出勤,ということだと思うのですが,何時ごろ帰宅したのか,だいたいいつ寝たのか,それとも寝なかったのか,自分が5年生相手にどういう授業をしたのかまるで覚えていません。もしかしたら,その晩は106に泊まり込んで翌午前帰宅っていうことをしたのかもしれません。

知ってる人教えてください。(まじ)

噂によると,駒場勢からの提議により,上映会は延期。よく開発が進んだようです。私は「もぐぴん」用データを量産するための準備をしていたような気がするのですが……。

11月21日

午前中はたぶん寝ていて,午後は松戸でお仕事。初日は人手が妙に減る傾向にあることがわかっていたのに,抜けてしまってすいませんでした。

夜,駒場へ。飛び込み企画などがあれば,パンフレットの第2版を作成しようと意気込んでいたのですが,特に大変革はないらしいので中断。HASM さんのフラクタルスクリーンセーバーを加えなきゃいけなかったんですが,なぜか思いつかなかったようです。

もっと主張してください>HASM (と,心に棚を作ってみる)

いい感じか?

私の到着直前,Applause さんによりファミトレ接続が実現。一気に企画稼働の気運が高まります。快調そうなので,もぐぴんデータの生産にかかろうとしたところ,ここで悪魔の上映会(笑)。でも,「もののけ姫」に「エヴァの最後の方」ということで,ワタシ的にはまた観たいとも思わない内容のため,作業にいそしむことにしました。

CD から吸い取った WAVE データをいじる。短いフレーズを何度も聞く。歌詞「焦げるよう〜な日射しを……」「こげるよ〜な」「こげるよ〜」「こげる」「こげる」「こげる」「こげる」

コGEL

うわわ,いま瞼の裏に浮かんだこのイメージはなんなんだ。コギャルと違うんだぞ全く。

ドラムを抜く試みがやがて挫折。うう,スネアドラムはヴォーカルと帯域かぶりまくっててぜんぜんだめだな。基礎知識貧弱すぎ>私

あきらめて,せっせと既存の BM98 データを改造。他にもはっぴぃくんあたりがデータ作成にいそしんでいたようですが,人手が足りないのかなんなのか,進んでいないようです。でしゃばるのもなんなので,自分なりに進めておきます。

YTA 奮闘

わいりーが一生懸命開発している。おお,愉快なフィールド画面ができている。いいないいな,自分のプログラムがちゃんと動いている人は。

れいちゃんと買い出し

食料を買いに出る。山手通り側のセブン・イレブン以外に選択肢がないということを知らず,神泉方向に爆走。夜中のホテル街をかすめて,bunkamura 近くのローソンに到達……なにやってんだか。

おおくぼくん偉い

夜の間に,なんか妖しい連続技がたくさんできました。って絶叫スーファミの話です。部報第217号9ページ参照。

とにかく,企画として面白い。もっと派手にやればウケたかも,という声もありますが,派手にやらなくても話題性はトップだと思いますよ。見た目の驚きがあります。「駒場祭で絶叫スーファミを見て以来,TSGに入るのを目指して頑張りました」という受験生が来年以降増えるかもしれません。まじで。

折しも「ピカチュウげんきでちゅう」発売間近。音声認識エンジンこそメーカー製の流用ですが,目のつけ所は見事だったと思います。

ぱらが TSG にいる!

去年はお向かいのお茶屋さんの方が忙しく,無茶な体の使い方をしていた彼ですが,今年はあっちで肉体労働しなくてもいいみたい。ちなみに今年も,向かいは表千家茶道部。来年も,再来年もそうなんでしょう,きっと。

なんと斜め向かいには UTMC。夢の LAN 接続は,なにやら物理的理由で断念されたようです。そういえば,ふだんから学館内で非常に近い距離にあるのに,なんで接続しようって話にならないんだろう。……え,クラッキング合戦ですか?

11月22日

なんかわからんうちに夜明け。日吉勢,一斉に一時撤退。この様子じゃ,戻ってくるのは明日の朝ですな。

7時頃,始発くらいで家を出てきた akie さんが炊き出し! これは高得点ですよ。ありがたくいただく。

失策

もぐぴんフル稼働かと思いきや,あれれ,なんだかおかしいぞ。そうか,ステージデータがない! どうなってるの,と関係者に尋ねようとしても姿は見えず。

はっぴぃくんが応急対処……と思ったらダウン。吉祥寺方面へ消えていきました。ま,あれだけ働いてりゃダウンしてもしょうがありません。

これで完成と主張できないこともない感じだけど,このままではクソゲーテイスト満点で,準備期間の努力がもったいないし,だいいちプログラマが非常にかわいそうです。で,昨晩作りかけのデータを急いで完成させます。もぐぴんマシンにコピー。おやや,コピーできない。ネットワークがなんかおかしいのです。げ,転送元の Explorer ごと墜ちてしまった。なぜ。

とりあえず,転送先マシンのプロセスを全部止めてもらって転送してみます。異様に遅いけど,なんとか送れたので,もぐぴん起動。

……あれれれ,BGMが鳴らない!

そういえば,むらきくんが言ってたな,ときどきおかしいって……。デバッグできるものならしたいところですが,とりあえず展示優先で,ちゃんと音が鳴るデータを探します。

ドラクエの奇跡

昨日の晩にきりもみさんに BM98 データをいろいろ見せていただいたのですが,中でも DQ2「ふっかつのじゅもん」入力中のBGMで遊べるものがなかなかよかったので,もぐぴん用にアレンジしてみます。PSGの矩形波そのまんまな音色がグー。

よかった,これはちゃんと鳴った。さっそくプレイします。矩形波の音がよく通るせいか,そのへんにいた人が集まってきました。データいじった張本人はコツがわかっているので,さくっと高得点です。30分くらいずっと見せ物状態になっていました。私は土曜日の昼前起算で30時間程度の連続稼動。かなりハイになっていたのです。

それにしてもこのデータ,いちばん最後に「滝」9 があったりして,けっこうハマれます。

自己満足してても仕方がないので,しばらくしてタネをばらしたら,いつのまにか,その場のTSGer総出でデモンストレーションすることに。その間に,難易度を大幅に下げたバージョンを作成してインストール。これでお客さんにも遊んでもらえるようになります。合間合間で,私とさいとうくんが高得点デモプレイ。パフォーマンスとしては上出来ですね。

結局この日は,既存データにて稼働の1台していたほかは(ぽろちゃんあたりが接客で大活躍!),この曲一本でウケを取っていました。で,その場にいたみんなの耳にこの曲「Love Song 探して ---Only Lonely Boy---」の矩形波の響きが染みついてしまったというのは,当然といえば当然の副作用でした。

Dazzle Dazzle Realization

閉店間近,さいとうくんがふと立ち上がり,机に固定されていたファミトレをばりりと剥がすと,床に据えました。

なにっ,やる気なのか!!

このあとの状況は,皆様ご存じの通り,改めて語るまでもないでしょう。ギャラリー倍増,帰路のお客様が廊下からのぞき込む状態になります。写真を撮られること多数。

コナミ商品との重複なんて気にせず,最初から足プレイを前提に開発していていればよかったのだということに,やっと気づいたのでした。

日吉勢力再起動

わいりーは昼前に単独日吉から戻ってきて部屋の隅で寝てたんですが,みんな遠慮して起こさなかったんですね。あれだけ矩形波が鳴ってても寝てるんですからね,うっかり起こして噛みつかれたらやだ。彼,運営委員の割り当てを気にして,わざわざ駒場まで出てきてから仮眠していたらしいのですが,結局おおくぼくんが代理動員。どっちも偉いわな。

TACT くんも復帰。しかしぱらが行方不明。電話してみると,いま5時かね,朝かね夕方かね,とかいう具合。合掌。

むらきくんのソースを読む

他人のプログラムをデバッグ。得意分野です。とりあえずファイル名を変えてプロジェクトを保存し,あやしいと思われるところをあちこちいじってみます。そういえば去年は,ぱらくんがお茶屋さんお茶以外の飲み物を飲まされてしまって稼働不良のところ,すーゆーさんと私で占いプログラムのデバッグをしたのでした。懐かしいな。

主に DirectSound 関係のところをいじってみたのですが,改善されず。うわわ,ファイル読み込みとか,キーセンスとかの部分はなるべくなら読みたくないぞ。でも,もはやそのへんしか残ってない……。

ぱらの運営委員割り当て時間帯が迫る。仕方ない行くか……と思ったらわいりーが行くらしい。偉い。

いわゆる printf デバッグを繰り返すうち,むらきくん復活。試みた内容を一通り伝えたわけですが,要するに進展なし。俺って役たたず。うう,がっくり。10

秋の夜長にドラクエII

女性陣も,一人暮らしなお二方(エビ高野商店支店)は泊まり込みの模様。たて続けに二度,買い出しに行ってくれました。

で,帰還の際,入館許可証が不足し,建物外側に面していた某部の人のお世話になった模様。某部って表千家茶道部ですけどね。

すいませーん,向かいの部屋の TSG の
辻河さんに用事があるんですがぁぁぁ

って窓越しに叫んだらしいです。なんだかなぁ。

なぜか上映会は催されず,もぐぴんのテストプレイが大々的に行われました。ていうか,はまってるだけですな。特にさいとうくんが,高得点ゲットに燃えています。夕方の時点では笑って見てるだけだったおおいわさんまでがハイスコア競争に参加。最終的には,手プレイでほぼ満点,足プレイでも8割以上の得点が 出ていたような気がします。

これが夜通し継続。近隣サークルにはさぞかし迷惑だったことでしょう。向かいのお茶屋さんの人とかも,頭にこの曲がこびりついて大変だった模様です。 苦情が来なかったのが不思議です。

絶叫スーファミのスト2に妖しい連続技が大量に増えました。もうひと押しすれば,この方面でなかなか愉快な文化が形成されそうです。惜しいので,どなたかあとを継いでみませんか。

もぐぴんデータ量産

わりと歴代編集長が揃っていたので,編集作業と関係ないことについて歓談(笑)。

そして日付が変わった頃から作業を再開し,手が空いてそうだったギャラくんとひできさんあたりを動員して,簡単なデータを作ってもらいます。試行錯誤あり,わりと根気のいる作業だったはずです,ご苦労様でした。

11月23日

akie さん,またもや早朝炊き出し。偉すぎる!!

おわわ,間に合わん

もぐぴん用データを整理。プログラムの方は無人運転できるように作ってあるのに,全く活かされていないので,なんとかなるようにデータをあっちこっち移動します。もぐぴんでは難易度的にプレイ不可能なデータが大量に混じっていたので,それを取り除くのが大変な作業量でした。

ところがネットワークがうまく動かない。例によって,転送元の Explorer が昇天します。

ここで,昨年度影のライブラリアンすーゆーさんが活躍してくれました。単に行き先マシンのNICが変なだけだということをあっさり突き止め,ものの数十分で修復してしまいました。なんだそりゃ。

とかやってるうちに開店時刻。はっぴぃくん復活。う,こんなことなら,もっとスケジュール前倒しにしておけばよかったな。

11時前,ようやく無人運転可能になりました。はっぴぃくんらによってビラが量産され,有料企画の話が発進しているらしいのですが……ディスクを有料頒布……って,FDですかい?(汗) そりゃ,プログラムは入るだろうけど,曲データって1本2MBとかなんじゃ……。それに,不特定多数に配布できるようなオリジナルデータって何もないんですけど……。11

急遽,畠山さんの協力を仰ぎ,オルゴール音色のみのデータ(簡単な童謡やクラシック曲で,テストプレイができる程度のもの)をでっちあげることにします。これならFDにも余裕で入ります。私も手伝うはずだったのですが,すでに連続稼動50時間に達していたため,音の高さとキー番号の対応を把握しながらデータを書き下していく,という簡単な作業が,まるでできません。あっさり畠山さんに一任。すいません。

理論科学託児所

未就学児4人ほどがおおくぼくんの作品に貼りついています。「保護者いないみたいなんだけど」……え。



「ねぇ,お父さんかお母さんは?」
「んとね,ここにいなさいって言って,どっか行っちゃった」

とりあえず父親の名前を聞き出し,おおくぼくんとともにKFCの本部へ。委員長の守谷くんが出迎えます。迷子扱いで引き受けてくれんかと頼んでみると,快諾してくれました。ちなみに委員長は3学期までのクラスが私と同じ。聞けば,おおくぼくんと高校の同窓生というではありませんか。世の中狭いものだのう。

106に戻ってみると,母親が戻っていました。念のため,丁重に苦情を申し上げておきました。

トドメの運営委員

最後,むらきくんと二人で運営委員に動員されます。106に戻ったら,もう撤収が始まっているはずです。さらばもぐぴん,さらばファミトレ,さらば駒場祭1998。

半分寝ながら集合場所で待機,誘導されて行った先は……ゴミの仕分け場。げ。……え,その隣?

お食事中の方は半ページほど先の小見出しへ飛んで下さい。

作業内容 回収した発泡スチロールの容器(主にヤキソバとかタコヤキとかを売ってたあれですね)にくっついている残飯を水洗いして落とし,回収業者に渡せる状態にする。

ホースで水をジャージャーかけるんですか。楽ですね。

いえいえ,そんな水道水の無駄は許しません。ソースやらなんやらで泥色になったたらいの中で,セッケンをつけたスポンジでもってごしごし洗うのです。

説明しましょう。™ 今年から,発泡スチロール容器の 100% 回収を目指すことになりました。で,たとえば食品販売の模擬店は,各スペースに資源回収袋の設置が義務づけられています。自分のところに集まった容器に関しては責任を持って「洗って資源回収」とするのだそうです。で,公共スペースの回収袋のぶん+模擬店サークルのお手伝い,を運営委員が負担するのですね。

にしても,作業の目的はともかく,段取りがまずい気がします。晩秋とはいえ,一晩越しかもしれない残飯洗浄をたらいの中で,ってのは理性の限界ぎりぎりです。実は,一般参加者にも「自分で使った容器を洗って捨てる」を実践してもらうように計画されていたようなのですが,見た目では,この目標にはほど遠いようでした。でも,もっと効率がよくて衛生的な方法があるかというと,思いつかないんですな。そんなわけで,とりあえず黙って仕事してきました。

途中,むらきくんが106に呼び戻され,かわりにぽろちゃん登場。あとで知った話ですが,初期の頒布ディスクに入っていたもぐぴんは,ファミトレがつながっていないと動かなかったのだとか。これは盲点でした。

撤収

運営委員から戻ると,予定通り,撤収が始まっていました。出遅れたせいで,よく状況が把握できていません。その場にいた先輩方がかなりご協力くださったようです。

判断力がすごく落ちてきたので,単純作業と力仕事をせっせと手伝っていましたが,そのうち力も出なくなっていて,最後のほうは305で休んでました。すいません。

コンパ,帰宅

歩いている間は意識がはっきりしていたのですが,会場で座った途端,ダウンしました。クミコム賞関係では,筋肉雑誌しか覚えていません。

そういえば akie さんに,何か徴収されたような気がします。にっこり笑って「今払える?」と尋ねられたので思わず払ってしまいましたが,実は何も確認しませんでした(笑)。あとで領収証を見ると,未払いのコンパ代とユニフォーム代だったようです。領収証は大事です。特殊な収受(コンパ代の後払いとかね)をする場合は,簡単でいいので領収証を用意するようにしましょう>新役員各位

……そいえばユニフォーム,一度も袖を通していません。たぶんまだ305に安置されているはずです。

最後の方で,高野商店支店さんがはじけていました。あんまり具体的に書くと本人に刺されそうなのでやめときます。見苦しいことは全くなくて,どっちかというと歓迎すべきカンジでありました。ぐふ。

アンミラ組をあっさり見送って帰宅。60時間連続稼動は,未知の領域でした。

11月それから

24日

撤収作業の続きは「寝ぶっち」してしまいました。ごめんなさい。4時間めから授業には出ました。で,これが本年最後の授業になってしまった模様です。……あんまりだ。

26日〜月末

生活のペースが戻らぬまま,実家から母上様が襲来。29日まで滞在。仕方ないこととはいえ,ますますペースが崩壊してしまいました。「眠いのに眠れない」「何時間か寝たらすぐ目が覚める」「しばらく起きてると眠くなる」とかいう状態になり,寝不足が蓄積していきます。電車の座席とかだとよく眠れるんですが,体を横にするとだめなようです。

その合間に,かねてから下準備を進めていた「総合名簿」のアナウンスを各方面に流しました。と同時に,駒場祭反省特集の原稿募集をかけます。

この頃,大事なものをいくつかたて続けに失くしました。PHS端末のほか,「職場での自分の信用」とか。(ぉ

12月

部報が思ったより大変。自分の連載記事は,内容が練りきれないのでまたしても先延ばし。3時間も作業してるとすぐ眠くなるんで,効率が悪いんです〜。

4日

305にプリンタを取りに行きました。……ギャラが持って帰ったあとでした。ショック。

7日〜8日

今度こそプリンタを回収するために駒場へ行きました。

原稿はおおかた揃ったのに,頭がぼうっとして,編集作業がぜんぜん進まない。とうとう,風邪ひいてるわけでもないのに発熱。やや呼吸困難あり。やばいですね,これは。保険証を手に,一眠りしてから病院に行こうと,ソファの上でふとんをかぶって休みます。横になると眠れないのだな。で,目が覚めたらもう翌日の午後。うわ。あわてて「予定キャンセル」のメールを流す。毎度のことでごめんね>駒場ALL

しかし9日は水曜日だから仕事に行かなきゃいかんよな。印刷製本できるのかな。すでに午前中の語学の授業は眼中になし。最悪だ。

部報第217号(12月7日)

表紙じゅもんが ちがいます
副題ぶほ・駒場祭反省特集号
スカイブルー
ページ数本文52ページ
高野本店率12%
わいりー率16%

実は9日に印刷,10日製本。発行日の表記は実態を反映していません。

「全員投稿・全体反省」を合言葉に募集をかけました。つまり,企画責任者が自分の企画を振り返るだけでなくて,参加者全員が,(自分の企画も含めて)TSGブース全体を振り返ろうということです。

結果,日記風の読み応えのある投稿が多数集まりました。特に,わいりーの駒祭顛末記「どはまり日記」が大ヒットを記録。これでますます305の人気者ですね。 来年以降もぜひ305のみんなを楽しませてやってください。(ひど)

今回の新機軸は,実は目次ページです。受け取った反省記事の投稿をすべて独立した記事見出しに立てましたんで,目次がすごいことになっています。タイトルがみんな,小学生の読書感想文状態。別にそれが悪いわけじゃないんですけどね,ただ,こうやって目次を眺めると,「どはまり日記」がますます光って見えます。

そのほか,各連載はきっちりと載っています。私は前述のとおり,サボりました。ていうか煮詰めるヒマがないよ。

11日〜14日

名簿データを整理しつつ,溜まっている課題類を少し進めます。しかしどうにも体調が。呼吸困難は治まったけど……。

おおくぼくんから「SPARC課題でてるよ」と報告。なんていい人だ。(;_;)

14日は駒場に行きました。でも授業は出ずに305で作業。しかし全く進まず,TACT と,Java と人工生命の可能性について語ってしまう。そしてこの日は「名簿データ締切」と広報していたので,良心的な方は当日に合わせてどどっと送って下さいます。いっぺんに来たのを一度に処理すると,どうもミスが多くなりそうで困るんですが……。

この段階までで返事がない方には,次々に電話攻撃することにします。

15日〜17日

26時間起きてて6時間寝る,とかを繰り返していて,もうわけがわかりません。

15日夕方には新宿あたりに遊びに行く余裕も作ってみました。が,旧友とだべっているうちに地下鉄の終車時刻を過ぎてしまったんですね。営団線も都線も店じまいが早い……。仕方なく,JR錦糸町駅から歩いて帰ることにします。……え,夕方の総武線事故,まだ復旧してないんですか?

上野駅や南千住駅から歩いて帰れないこともないし,御茶ノ水か東京地下で総武線の復旧を根気強く待つという選択肢もあったのですが,万が一201系の列車ホテルとかになった場合,絶対に体力がもたないので,喜多見の某邸に緊急避難することにしました。3時間ほど仮眠ののち,早朝に出発して,8時半頃やっと帰宅。……いったい何をやっているのだか。

それでも16時に松戸っていう約束だけは守らないといけないのですが,こんな状態では先週に引き続いて仕事にならないので,えいっと寝てみます。

失敗。

……かろうじて遅刻は免れました。この短期間で何回も遅刻したらクビになるよなぁ。うぅ,上半期は優秀講師だったのに,みごと零落。

ギャラから,離着任挨拶の原稿がどっさり届く。自分のすることは何もなし……と思ったら,ああぅ,これはまずい。やっぱり分担でなくて「共同作業」にすべきだったな。打ち合わせ不足。ていうか私が駒場に行ってないからだめなのか。

18日〜19日

最近ずっとソファで寝ています。4時間寝ては3時間起きる……の繰り返し。効率悪すぎます。そんな18日未明,この状態から今日製本ってのは,いくらなんでも厳しすぎるよなぁ……と思ってたら,ふっと意識が途切れました。机に突っ伏して「寝ぶっち」であります。

急遽,20日のコンパ前に公開編集,そして部報と名簿のダブル出版——という日程を組み立て,発表。ま,恒例の延期騒ぎもこれで見納めと思うと,さびしいものです。そうでしょ。ね。

19日は午後仕事なので,午前中に仮眠。夜に帰ってきてから名簿関連を一気に詰めていきます。

夜中,なぜかぱらくんと長電話してしまい,効率が下がること著しい。でも,声を出してるとなんか体が楽なので,ついつい。

12月20日

朝9時までに名簿を仕上げるはずが,なぜか昼の2時。やばし。セガ・エンタープライゼスの湯川さんがTVのCMで頭を下げている。生産が追いつかず,誠に申し訳ございません。あんたの気持ち,よく分かるよ……(って別に私ゃ責任取らされてるわけじゃないけど)。

プリンタとノート機を抱えて家を出たはいいのですが,この荷物をかかえて浅草駅まで15分歩く気合いがないので,バスを利用することにします。タイミングが悪いようならタクシー,とか思っていたのですが,あっさりバスに乗れて一安心。

悪夢はこの後。結局駒場に着いたのは4時半をまわっていました。大型車の事故とかで,バスは浅草通りでストップ。お年寄りが多い路線のため,着席できないまま缶詰であります。ドライバーに頼めば降ろしてもらえたような気もするのですが,この状態でバスを捨てて歩くなんて考えたくなかった……。

んー泥沼。何かウケる言い訳があるかな,とか考えながら移動。責任を取って専務降格(笑)。で,体もきついことだしコンパ逃げるか。それでも駒場に着く直前までは,名簿だけ印刷・製本するつもりでいたのです。が,305で懐かしい顔をたくさん見たら,急に気合いが……ふにゃにゃ。ぽろちゃんとかに「けっきょく,作るんですか? 何かできる作業はありますか?」と尋ねられて,「ああ,んにゃにゃ,もういいよ,無理だし」とか返答してしまう始末。

転じて福か?

しゃべるのもままならないほど疲弊していたつもりが,305でだべりモードに入った途端,復活。あれれ元気だ。もしかしてこの体調の悪さは,駒場に来ていないからなのか!?

明晰になってきた頭で名簿の版下をあらためて見ると,つまらない間違いがたくさんありました。これを印刷してしまわなくて,むしろよかったわけです。そか,この版下を今日コンパ会場に持参して,寄ってたかって校正してもらえば,くだらないミスは激減ですな。コンパ欠席計画を破棄。ただし,集団で歩いて渋谷まで移動すると倒れそうなので,305で一休みしてから,独りで電車移動することにします。

コンパの席では,先輩同輩後輩みなさんから良心的な反応をいただきました。しゃべって食って飲んでいるうちに,やや寝不足な感じではありますが,全体的に調子がついてきて,そのままカフェバー二次会とか,ゲーセン三次会とかまで追従。なんと都合のいい……。

1998年度 総合名簿(12月20日)

表紙TSGロゴのみ
未定
ページ数本文26ページ程度

これも20日のコンパ合わせの予定が間に合わず,24日に印刷・製本しました。

総合名簿とは「TSGer の TSGer により TSGer のための名簿」であるとして,OB を自覚している方も含め,TSGer を自覚する方ならば誰でも掲載できることを明示しました。そのうえで,「現役 TSGer」を自覚する方が全員掲載となるよう,情報収集活動を行いました。また,昨年度の名簿は,一部で情報の鮮度が落ちていたようですので,掲載者本人と連絡をとるよう徹底し,情報更新に勤めました。

結果,98名もの方のお名前が並びました。駒場祭後のメンバー,それに97年度入学森田雅樹くんとかを加えると,100名突破してたところです。

なお,この名簿は,駒場内で連絡がつきやすい方々には先行配布していますが,公式リリースは1月17日まで延ばしました。配布管理の方法が,305内でうまく徹底できなかったので……。

12月下旬

かなり休養。24日,名簿の印刷・製本をしつつ,忘れ物として教務課に預けっぱなしだったPHSを回収してきました。年を越すと目黒署に移管されてしまいそうだったので……。

で,翌日,新宿あたりで失くす。

これには我ながらあきれました。

年末年始

29日〜30日のコミケにも,1日め夕方と2日め午前だけ参加してきました。行列しました。古い仲間にも会いました。黒川さんとばったり会いました。人と会うと,心身が軽くなる気がします。

年末年始は家族と山梨・長野あたりを巡回しました。老後の定住先を求めているとか。

30日昼の中央高速バスで移動する予定だったのが,父親からの電話を受けている間にキャンセル待ちの順番をスキップされてしまうという事故があり,鉄道移動。なお,東京に戻る移動は,すーゆーさんと昼の東海道緩行の二人旅でありました。道すがら,新聞部活動時代の他校の仲間にばったり会うとかいうイベントもありました。

ごく最近

「どはまり場」増大

「どはまり」が大流行している模様。

ただし,わいりーくんのどはまりが愛されるのは,彼が単独でどはまりするからですね。誰かを巻き込むとしても,せいぜいぱらぐらふくんが道連れになる程度です。

これに対し,私のどはまりはわりと人を巻き込むので,そのうち寝込みを襲われる気がしてどきどき,じゃなかったびくびくしています。新しいところでは,この部報を公開編集した14日夜の打ち上げ(?)において,目的地へ一同を誘導する際,2kmほど余計に歩かせてしまいました。

部報第218号(1月14日)

表紙編集長降格
副題ぶほ・役員交替特集号
未定
ページ数70ページ
ぱら率推定11%
壱率わりとたくさん

この冊子です。ギャラくんとの共同編集。

総括

今の私の気持ちをば。

私が担当した部報について,誌面の仕上がりに不満がもしあったとすれば,その地味さを指摘する声があるかもしれません。私の感覚では,現状でもまだ不十分に感じる(いっそう地味でもいいと思う)のですが……。最後に,そのへんについての私の考えを少々述べておきましょう。

タイムカプセル

部報を作るうえでのプレッシャーは,「後までしっかり残る」という点です。年に6本とか7本とか量産するわりに,後世にまできれいに保存されます。TSGer の間でやりとりされる莫大な量のマシンリーダブルなデータに対し,部報のデータ量は圧倒的に少なく体積が大きく,それゆえ,こんな時代でも生き残りやすいのですね。生半可な仕上げではまずいのです。

そして,時代感(世代感)が漂う仕上げであってほしい。その時代の305をきっちり焼きつけておきたいと思うわけです。だからといって,その狭い世界で完結してしまってはいけない。仲間うちでは大笑いできても,305を一歩出た瞬間にまったく面白くなくなるような,薄っぺらい代物にはなってほしくない。人がすっかり入れ替わる2年後や3年後に見たとき,つまらない,くだらないと思われてしまうような代物には,なってほしくないわけです。

だから,私はこの1年,わりと上品な誌面を目指して編集をしました。説明は常に「少しくどいくらい」を目指しました。もっと楽しくはじけた部報もありえたし,今後もありえるでしょうが,そういった軽めの愉しみを後の世代に伝えるということは,大変困難な挑戦です。

そういったわけで,かなりストイックな見栄えの部報たちになりました。当初は,もっと派手なことができるように「ぶほ開発きっと」に手を加えていく構想もあったのですが,上記のような思索のあげく,そちらの方の興味は薄れてしまったのでした。

謝辞

みなさん一人一人に感謝の言葉を述べると,ここから「総合名簿」と同じだけのページ数が必要になりますから,失礼ながらまとめて一言にさせていただきます。

なにかと心身が落ち着かない私に付き合って,アナクロとも思える「本作り」をサポートして下さったみなさん,ほんとうにありがとうございました。もう大がかりな編集作業はやらない予定ですが,ちょっとした冊子制作ならば,ノウハウをお伝えできると思いますので,そのような折にはご遠慮なくご連絡くださいませ。そして,今後ともよろしくおねがいします。

(福林一平/文殊壱平


追伸

こんのくんの離任挨拶を読んで,彼がたいへんよくできた部長だったということを再認識しました。

で,私が今書いているこれを読み返して,私がたいへんよくばりな編集長だったということを再認識しました。

せっかくなので,もっともっと貪欲に,体が動く限りチャレンジしたいと思います。私の近くにいる皆さん,とばっちり食って一緒にどはまりしないように,十分気をつけて下さい。

# うわ,31ページ……字を小さくするか。ぁゃιぃ。
1) 部報第211号 13ページ参照。それから,「少女革命ウテナ」のTVシリーズ参照。
2) 知る人ぞ知る超常現象専門誌。
3) プロセッサ実験については,お近くに情報科学科関係者がいれば尋ねてみてください。
4) 具体的には東大寺学園とか甲陽学院とかです。ていうか,愛想つかされただけなような(笑)。
5) 第1学期に取得すべき単位を第3学期に再履修するためには,第3学期開始時点において,単位不足状態でなければならない。したがって,第1学期・第2学期の初修外国語両列あわせて4単位の平均が50点以上ならば(=平均合格の条件を満たしていれば),たとえ欠席(0点計算)が含まれていても,その科目を再履修することはできない。
6) 情報科学科の必修講義の第一回めのときに,益田教授が「今年は女性の方はおられないのですかねえ」と目をぱちくりさせながらつぶやいたのが印象的でした。
7) さすがに,Win32 のライブラリをインストラクショントレースするほど詳しくはなってないので……。(笑)
8) むらきくん不在だとトラブルに対処できない,とかいう感じになりそうだったし。毎年のことだね
9) beat mania 用語で,オブジェ密度がやたら多くて難しいフレーズのこと。
10) あとでデータをいじっているうちに「第0小節問題」に思い当たり,1か所だけ具体的に修正できたわけですが……技術的には全く役に立てませんでした。
11) おかしいな,はっぴぃくんとかが何週も前から作ってたはずなのにな。駒祭初日の晩に,MIDI→WAVEの録音なんかもやってあげたような気がするのにな。あれはいったいどこへ。(汗)

追追伸

こんのくん莫大な作業おつかれさま。ていうかこの記事だけは著者本人がHTMLにしたらしいです。(1999年1月25日)


今野 俊一 (こんの, knn) <toknn@ijk.com>, <knn@ebony.plala.or.jp>
東京大学 工学部 計数工学科(内定), TSG(理論科学グループ)